2009年06月25日

ソ連軍はバルト海からカルパチア山脈にかけての

1月12日、ソ連軍はバルト海からカルパチア山脈にかけての線で攻勢を開始。1月17日ポーランドの首都ワルシャワ、1月19日クラクフを占領し、1月27日にはアウシュビッツ強制収容所を解放した。その後、2月3日までにソ連軍はオーデル川流域、ドイツの首都ベルリンまで約65kmのキュストリン付近に進出した。ポーランドは、1939年9月以降独ソ両国の支配下に置かれていたが、今度はその全域がソ連の支配下に入った。2月4日から11日まで、クリミア半島のヤルタで米英ソ3カ国首脳によるヤルタ会談が行われた。そこでドイツの終戦処理、ポーランドをはじめ東ヨーロッパの再建、ソ連の対日参戦及び南樺太や千島列島・北方領土の帰属問題が討議された。

西部戦線のドイツ軍は1月16日、アルデンヌ反撃の開始地点まで押し返された。その後、連合軍は3月22日から24日にかけて相次いでライン川を渡河し、イギリス軍はドイツ北部へ、アメリカ軍はドイツ中部から南部へ進撃する。4月11日にはエルベ川に達し、4月25日にはベルリン南方約100km、エルベ川のトルガウで、米ソ両軍は握手する。南部では4月20日ニュルンベルク、30日にはミュンヘン、5月3日にはオーストリアのザルツブルクを占領した。

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3月15日から、ハンガリーの首都ブダペスト奪還と、油田確保のため春の目覚め作戦を行うが失敗する。この作戦で組織的兵力となりうる軍部隊をほぼ失ったヒトラーは、「ドイツは世界の支配者たりえなかった。ドイツ国民は栄光に値しない以上、滅び去るほかない」と述べ、ドイツ国内の生産施設を全て破壊するよう「焦土命令」(または「ネロ指令」)と呼ばれる命令を発する。しかし、軍需相アルベルト・シュペーアはこれを聞き入れず破壊は回避された。これ以降ヒトラーは体調を崩し、定期的に行っていたラジオ放送の演説も止め、ベルリンの地下壕に篭もり、国民の前から姿を消す。ソ連軍はハンガリーからオーストリアへ進撃し4月13日、首都ウィーンを占領した。

4月16日、ベルリン正面のソ連軍の総攻撃が開始され、ベルリン東方ゼーロウ高地以外の南北の防衛線を突破される。4月20日、ヒトラーは最後の誕生日を迎え、ヘルマン・ゲーリング、ハインリッヒ・ヒムラー、カール・デーニッツらナチスの要人はそれを祝った。しかしその夜、彼らはベルリンから退去し始めた。4月25日、ソ連軍はベルリンを完全に包囲(詳細はベルリンの戦い参照)した。このような絶望的状況の中、ドイツ軍はまともな武器も持たないヒトラー・ユーゲントなど少年兵や老人の志願兵を中心に最後の抵抗を進めていた。

2009年06月10日

真珠湾攻撃が宣戦布告を伴わない奇襲攻撃

真珠湾攻撃が宣戦布告を伴わない奇襲攻撃という認識が現在でも一般的であるが、外務省がパープル暗号で送った命令書[8]では当初は攻撃開始30分前の宣戦布告を予想していた。しかし、東京から日米交渉打ち切りの通知を告げる内容の電文が送信された際、日本大使館員全員が宿直も置かず、大使館を空にして同僚の送別会を行っていた事[9]など、諸事情によりワシントンの日本大使館一等書記官奥村勝蔵の英訳親書のタイプが大幅に遅れ、攻撃開始時刻に日米交渉打ち切りの通知が間に合わなかった。
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この件については、誰も処分されておらず、外務省はこの遅延に対し調査委員会を設立し調査を行ったが、調査結果は長らく公表されなかった。1994年11月20日、外務省は当時の調査委員会による調査記録「昭和16年12月7日対米覚書伝達遅延事情に関する記録」を公開し、公式見解として、大使館書記官の不手際により、宣戦布告が遅れたことを認めた。現在、この資料は外交史料館報 第8号で閲覧可能である。

また、調査委員会設置以来、奥村の上司である館務総括参事官の井口貞夫の責任を問う説が存在するが、これに対して井口は生前「自分の管掌事務ではなく承知していなかった」と主張し、息子にあたる井口武夫元ニュージーランド大使も外務省本省が負うべき落度を現地大使館に責任転嫁しているとして奥村書記官を含めて大使館側に失態はなかったと主張している。

ただし留意しなければならないのは、宣戦布告が攻撃直前に行われた場合は同じように国際条約の違反になることである。なお、アメリカは第二次世界大戦後に参戦した殆どの戦争(ベトナム戦争やパナマ侵攻、イラク戦争など)において宣戦布告を行っていない。

2009年06月06日

プレハブ工法(プレハブこうほう prefabrication method)

プレハブ工法(プレハブこうほう prefabrication method)とは、あらかじめ部材を工場で生産・加工し、建築現場で加工を行わず組み立てる建築工法のこと。

なお、『学術用語集 建築学編』では、プレファブ工法またはプレファブリケーションと定められている。

使用する建材や、設置に要する時間的なロスを徹底的に軽減できることがメリットである反面、規格化され融通が利かない構造や、耐久性の低さがデメリットになることもある。

工期短縮がメリットと説明されがちである。建築業者の面から見ると、確かに現場での作業時間については該当するが、しかし、工場での計画も含めるたトータル面では期間短縮になるとは限らない。また、工場設置が必要なこと、また作業者が工場と現場に分散しなければならないこと、などから、ある程度の販売規模が必要となる工法である。

日本は世界一のプレハブ工法大国であり、1メーカーあたり年間数万戸を生産する。

1920年代から1930年代にかけて、ドイツで単式工法住宅が試みられた。1950年代以降、アメリカで発達したツーバイフォー(木造枠組壁構法)による住宅建築をベースに、ユニットバス、システムキッチンなどを代表する住宅機能のユニット化が進み、格段の進歩を見せた。米国ではモービルホームとしても作成された。これは住宅が2つなどに分割されて、それぞれが車輪がついており牽引され現地で接合されるタイプのもの。

日本では、1959年に大和ハウスから現代につながる鉄鋼系プレハブ住宅が、ミゼットハウスという名前で販売された。6畳の広さのものだった。1960年には積水ハウスから鉄鋼系が、その後ミサワホームから木質系が販売された。1956年に浅田孝らが開発した南極観測のための昭和基地建設工事で、砕氷船に乗せて現地で組み立てるだけで建材から工事をする必要がなく、かつマイナス50℃という環境に耐える工法をミサワホームが1967年から採用、また積水化学工業からはユニット住宅としてセキスイハイムM1が販売された。かつては「安かろう悪かろう」の代名詞であったが、近年では在来工法(木造軸組構法)にもプレカット材の利用が進むなど影響を与えている。

トタンや鉄筋の筋交いで作られる仮設小屋。建設現場の休憩所から、集会所、大規模災害時の避難施設や仮設住宅など、機動性と設置の容易さから幅広く普及している。1990年代以降は、組立すら不要のユニットハウス(スーパーハウス、ユニットハウスなど)が主流となっている。
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都市部の小学校や中学校では、児童や生徒数の増加に対応するために、プレハブの仮設校舎が建設されることが多い。また、阪神淡路大震災をきっかけにした校舎の耐震強化のための補強や建て替え工事もあり、工事期間中使用するプレハブの仮設校舎が建設されることが多い。

現在は各社が技術を競っており、外部からではプレハブ建築には見えないような建物も増えてきている。

2009年04月23日

高位の四位に任じられたのは

軍事貴族の中でも、高位の四位に任じられたのは、秀郷流藤原氏、清和源氏、桓武平氏に限られる。うち正四位まで昇ったのは、清和源氏の6名と桓武平氏の2名のみである。当初、源頼光や源頼信をはじめとして清和源氏が相次いで正四位に任じられ、清和源氏が武家の棟梁として認識されていたが、源義家の子、源義親の代に失脚すると、代わって平忠盛が正四位に昇った。これは武家の棟梁が清和源氏から桓武平氏へ移ったことの現れだと考えられている。

軍事貴族の官職
軍事貴族は、当然ながら軍事面で朝廷に貢献することが求められた。彼らは、滝口(北面武士)を勤めた後、宮中の警護にあたる蔵人、京市中の警察である検非違使などの武官に任じられた。武官としての功績を積んだ後は、他の諸大夫階層の技能官人層に属する中下級貴族が家業の功績を積んだのと同様に、受領として諸国へ赴任する例が多かった。当時、太政官から発給された「追捕官符」を根拠に、国司が国内の武士を軍事力として編成し、「凶党」の追捕に当たるという国衙軍制が成立しており、軍事貴族の「武家」としての職能はこの国衙軍制の中で十二分に発揮されたのである。

国衙軍制において国司は、次に掲げる者を「武士」として名簿(「武士交名」という)に登録した。それは、承平天慶期の勲功者の子孫で侍身分の技能官人の家と認知され、武芸を家業としている郡司・富豪百姓・田堵負名らである。いざ凶党追捕の際には、国司は武士交名を元にこれらの者を軍事力として編成していた。軍事貴族は、承平天慶期より継続的に在地の郡司・富豪百姓・田堵負名層との関係を構築していたため、国内軍事力の編成に関しては、通常の受領よりも格段に有利であった。また彼らは受領として地方に赴任した際には、在地の有力者たちとの関係を更に深めるのが通例であった。こうして軍事貴族と在地の豪族との間には、主従関係が徐々に築かれていった。ただし、当時すでに強固な主従関係が見られたわけではなく、流動的な側面を持つ主従関係だったことに注意する必要がある。

軍事貴族たちはこのようにして受領を勤めた後、再び別の国の受領となったり、あるいは衛門尉や刑部丞などの武官的な官職に補任されることが多かった。

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院宮王臣家との関係
軍事貴族は他の技能官人層の中下級貴族と同様、摂関家など有力貴族の家司や治天の君の院司として私的に奉仕するという側面も持っていた。清和源氏は源満仲以来、藤原北家(摂関家)の家司として代々仕え、同家による他氏排斥の際には藤原北家の家司として積極的に関与した。また清和源氏は摂関家の私兵として仕伺したり摂関家へ多大な成功_(任官)(じょうごう)を行うなど、摂関家の権勢維持に大きな役割を果たした。一方、貞盛流平氏は小野宮流藤原北家の家司として仕えたが、小野宮流が傍系に追いやられるにつれて、軍事貴族としての地位が低下していった。

摂関家への貢献によって清和源氏は優遇されるようになり、源頼光・源頼親兄弟、源頼義・源義家父子が正四位という軍事貴族最高位に相次いで叙せられ、武家の棟梁というべき立場を得るに至った。ここで注意しなくてはならないことは、清和源氏が武家の棟梁という地位を得たのは、その武勇によってというよりも、摂関家への奉仕という中央貴族の内部事情に起因するという点である。軍事貴族は確かに在地有力者との主従関係の構築を進めてきてはいたが、その存立基盤はやはり中央政界にあったのである。

白河院による院政が始まると、平忠盛は院近臣の郎党となって白河院に接近してゆく。忠盛は源義親の乱を平定するなどして院司となり、正四位に叙せられて軍事貴族の最高位者、すなわち武家の棟梁として台頭していった。武家の棟梁の地位が源氏から平氏へ移動した背景には、中央政界の中心が摂関家から院政を布く治天の君へシフトしたという事情がある(源氏は摂関家の権威を背景に、平家は院の権威を背景に台頭したことによる)。これは、武家の棟梁の地位、ひいては軍事貴族の地位が中央政界の動向に制約されていたことの証左とされている。

解消
12世紀中期の保元の乱・平治の乱は、朝廷内部の政争が軍事衝突によって解決された画期的な事件である。これを契機として、軍事貴族の最高位者である平清盛とその一族は、朝廷内部で急速に台頭していった。清盛は、1160年にそれまでの軍事貴族が就きえなかった正三位参議になると、1167年には太政大臣にまで昇り詰め、もはや軍事貴族としての枠を遥かに超えてしまった。 清盛一族はさらに権力を強化し、ついに平氏政権を樹立した。これは軍政官を派遣するなどの点で、最初期の武家政権としての性格を有している。

1180年代になると、平氏政権打倒を名目とした内戦(治承・寿永の乱)が起こり、最終的に、軍事貴族に出自し関東の在地領主層=武士層を基盤とする源頼朝の武家政権(後の鎌倉幕府)が内戦に勝利した。朝廷は、頼朝を軍事貴族の最高位者として処遇しようとしたが、関東武士層を権力基盤とする頼朝は、軍事貴族としての地位を否定し、鎌倉殿という新たな武家棟梁の地位を確立した。この過程で軍事貴族と呼ぶべき実態は発展的に解消されていった。

2009年04月19日

IT革命とWTOの成立

電気はすでに古代ギリシアにおいてその存在が知られていたが、エジソンが白熱電球の実験中に発見したエジソン効果(1884年)が端緒となり、1904年にはジョン・アンブローズ・フレミングが2極真空管(二極管)を、 1906年にはリー・ド・フォレストが三極管を発明した。1930年代には真空管を用いて、データとその処理方法を二進法で紙にパンチで穴をあけて読みとらせる二進法のコンピュータの原型が登場した。1947年には真空管にかわってトランジスタが発明され、さらに1970年代には一片のシリコンのうえにコンピュータ機能をもたせたマイクロプロセッサが開発されて、コンピュータの小型化、軽量化が実現した。

一方、1969年、冷戦時代のアメリカで国防用コンピュータネットワーク構築を目的として「ARPANET」(アーパネット)が開発された。これは、軍事的攻撃を受けても維持できる通信網の研究を行った結果、電話のような中央集権型のコントローラを持つ通信網では攻撃によりコントローラが破壊された場合、そのコントローラに接続している端末全てが通信網から切り離されてしまうため、電信をモデルとして特権的なコントローラを持たない通信網を実験的に作りあげた。これがインターネットの原型となった。こうして、軍事的に開発された通信ネットワークが民生用に転用され、インターネット社会が現実のものとなっていった。

1980年代以降のこうした情報通信技術の急激な革新をIT革命と呼んでいる。その結果、世界中がインターネットを通じて、瞬時に情報を共有できるようになった。これは、第一次産業革命、第二次産業革命に匹敵する大きな技術転換であり、これによって世界経済の一体化(グローバリゼーション)の進展はさらにうながされた。神武庸四郎は『経済史入門―システム論からのアプローチ』のなかで「第三次産業革命」の名を用いている
経済のグローバル化に応じて、国際的な貿易・金融制度の拡充がはかられた。GATT(ガット)ウルグアイ・ラウンドにおける合意に基づき、自由貿易のための多国間協定を発展させ、第二次世界大戦後の国際貿易をささえてきたGATT体制にかわるあらたまな国際貿易体制の柱として、1995年に世界貿易機関 (WTO) が組織された。また、ラテンアメリカやアジアの通貨危機・経済不安に際しては、国際通貨基金 (IMF) が介入し、危機を克服する方策を示した。しかし、これらの活動は必ずしも順調な成果をあげているとはいえず、あらたな世界経済秩序はまだ模索の域を出ていないが、開発途上国グループはアメリカや先進国グループよりも高い経済成長率(特に中国とインドの成長が顕著)で経済発展を続けて、世界でも経済的に重要な存在になり、影響力を行使している。開発途上諸国の政府は、先進国の経済体制・政策をそのまま模倣して実施しても、国の産業・経済の成長を実現できない場合が多々有り、国の産業・経済を成長させ、産業・経済が産出する付加価値を国民に還元して国民の生活を向上させるためには、個々の国の個々の時代の産業・経済の構造や発展段階や国民の多数意見に応じて、多種多様な経済政策を柔軟に組み合わせていく政策が必要と認識して、そのような政策に転換している。
大和撫子 きゃく サバンナ スキニー 情熱支援 ジャング ナリー ハンドカ ヒットパレ シリング ファンキー サーモス カペラ サラリー ニッケ フリフリ シュプネ ルサン レセプト パング テーション ジェロ スイス イライン おりあお パラシ バーゼル 夢街道 桜雨1押 ノート ワスレ どんしゅう プリン ジャスラック レア日本 永遠偉 白い街 パイロット ブイディ ストーブ チャウダ トカラ 管弦 アビブ スター スティック オモ モカ モンタナ ほうすう


唯一の超大国アメリカ
詳細はグローバル資本主義、湾岸戦争、オスロ合意、アメリカ同時多発テロ事件、アフガニスタン侵攻 (2001)、イラク戦争をそれぞれ参照

1990年代以後のアメリカ経済は、多数の有力なIT企業やIT非営利組織が情報技術分野の製品・サービスの開発や、フリーソフトウエアやオープンソースなどの開発モデルの創出において、世界の中心的な役割をにない、新たな市場・雇用・ビジネスモデルを創出して、グローバル資本主義を強力に主導しているが、開発途上国の経済成長率(特に中国とインドの成長が顕著)はアメリカや先進国グループと比較して高いので、世界のGDP・貿易・投資に対するアメリカや先進国グループのシェアは減少傾向であり、IMFの統計によると2007年の世界のGDPに対するアメリカのシェアは25.5%である[2][3]。

国際政治においても、1989年に就任したジョージ・H・W・ブッシュ大統領は、1991年にソ連と第一次戦略兵器削減条約、1993年にロシアと第二次戦略兵器削減条約(未履行である)、多国間の化学兵器禁止条約、気候変動枠組条約に署名[5]し、1990年に生じた湾岸危機の武力解決(1991年、湾岸戦争)に主導的役割を発揮した。1993年に就任したビル・クリントン大統領は1994年のイスラエルとヨルダンの平和条約の締結と国交樹立[6]の働きかけて実現し、京都議定書の採択を推進するなど、国際協調を推進(ただしアメリカが未加盟の条約や国際協調を無視している政策も多々有る)して、国際社会からの信頼をある程度は回復した。

2001年に就任した共和党のジョージ・W・ブッシュ大統領は、ソ連崩壊後の唯一の軍事超大国の力を背景に、とくに同年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件以後、同年11月アフガニスタン空爆、2003年3月イラク戦争を行い、国益擁護の強力な政治・軍事政策を推し進め、世界に君臨する姿勢を強めているが、アメリカ政府の期待するとおりに進展しているわけではなく、アメリカにも交戦相手国にもそれ以外の国にも、多種多様な問題を発生させている。

2009年04月04日

水入り

水入り(みずいり)とは、大相撲(十両以上の取組)において、長時間の取組(いわゆる大相撲)になり、疲労などのために取組に進捗が見られない状態になった際、行司の判断によって取組を一時中断することである。水入りになることを「水が入る」ともいう。

概要 [編集]
大相撲では、重い体重を生かし、瞬間的な筋力で自重もろとも対戦相手に突進し体勢を有利に展開する戦法が非常に効果的だが、逆にその重い体重を急激に動かすには、瞬発力が必須である。取組が長時間にわたって筋が疲労し、瞬発力が十分に発揮できなくなると、双方が力を十分に出し切れない状況に陥ることがある。4分を超えたあたりから、赤房下の計時係審判が経過時間を見て、膠着状態になったとき正面の審判長に合図を送り、審判長が手を挙げて、行司の判断により中断させる。水入りが頻繁にあった時代の取組では、2分30秒を越えると水入りとなる事が多かった。

取組を中断させる際には、行司は、双方の足の位置、組み方などをよく観察した上で、両力士に短時間の休憩を促す。再開時にはそれらを入念に水入り前と同じにしたあと、行司の合図により取組再開となる。両力士や勝負審判は、水入り前の状態が再現されているかどうかについて、行司に異議を唱えることができる。ビデオ判定導入後はビデオ室の意見も参考にするようになった。水入りの間中、行司は土俵上で双方が組み合っていた場所を離れず、足の位置を注視し、記憶していることが多い。

水入り後再開した後は、すぐに勝負が決する場合もあるが、疲労のため再度長時間の相撲となることがある。決着が付かなかった場合、2度目の水入りが行われる。この場合審判委員の協議の上、後の取組を挟んで取り直しとなる。有名な例としては1978年(昭和53年)3月場所7日目の大関旭國(現大島) - 前頭4枚目魁傑(現放駒)戦(掬い投げで魁傑の勝ち)、2001年(平成13年)5月場所6日目の大関武双山(現藤島) - 小結琴光喜戦(寄り切りで琴光喜の勝ち)がある。それでも水が入る場合には、引分とする。引分は幕内では1974年(昭和49年)9月場所11日目の前頭10枚目三重ノ海(現武蔵川) - 同6枚目二子岳戦以来、30年以上も出ていない。

なお、幕下以下の取組は水入りは無く、万が一取組が長引いたときには、その取組の2番後に取り直すことになっている。

所要時間の長さでは、1951年(昭和26年)9月場所14日目、前頭11枚目大起 - 同10枚目二瀬山戦(寄り切りで大起の勝ち)は2番後取り直しの相撲でも水入りとなり、合計32分(当時の割の空白欄に「32分」の記載が確認されている)。この記録が最長である。昭和以降で正味20分以上かかった取組は、1931年5月場所8日目の関脇天龍 - 大関能代潟戦、1932年5月場所5日目の大関能代潟 - 関脇沖ツ海戦、1952年5月場所11日目の前頭9枚目大起 - 同16枚目潮錦戦がある。このうち天龍 - 能代潟戦は水入り後も決着がつかず、2日後に再戦(天龍の勝ち)した。
1980年(昭和55年)1月場所14日目の横綱北の湖 - 同2代若乃花以来、およそ14年間、水入りがなかった。

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2009年03月20日

泥沼化してきていたこの月にダイヤ改正

1940年(昭和15年)10月 1937年(昭和12年)7月の盧溝橋事件を契機に勃発した日中戦争の戦況が泥沼化してきていたこの月にダイヤ改正が行われ、大陸方面への往来需要が増加したので急行列車が増発された。
リクエ ロジック ヒエラル ピーピーエ ラチェット カクシダ インタレ おおは ビジョ ラック プラム 菜の花 さとうき ビルボ ジュース ドウダ ぐぁば ラディ ロープ キャデ ブラッ かかお シューズ 総合ツタ ドクトル かじか オガタ ハルニレ シンプレ スカート あくふ スペルマ ロット モレーン キャッ スプリン たいめし支 テンソ モー シニフィ オウツ ファーザー ヒドラ レッドス ばらいろ ルビ ガーナイト コペン ワエロ フィス

1942年(昭和17年)11月 昨1941年(昭和16年)12月に勃発した太平洋戦争が深刻化する中、 この年6月に関門トンネルが開通し下関駅?門司駅間が山陽本線に組み入れられた。関門トンネルでの旅客列車の運行が開始されたこの11月に実施されたダイヤ改正では、それまで下関駅どまりであった列車の多くが九州へ足を進めるようになった。なお特急「富士」は長崎駅まで足を伸ばすようになったが、「櫻」は鹿児島駅まで足を延ばすものの、急行7・8列車に格下げとなった。
1943年(昭和18年)2月 戦況が悪化はじめた中でダイヤが改正され、石炭・戦時物資輸送の貨物列車が増発される一方で、旅客列車が大幅に削減される事となった。
1943年(昭和18年)7月 それまでの特急列車を「第一種急行」、急行列車を「第二種急行」と呼ぶようになった。
1943年(昭和18年)10月 列車がまた大幅に削減され、「富士」は博多駅打ち切りとなった。
1944年(昭和19年)4月 「決戦非常措置要綱」に基くダイヤ改正が行われ、「富士」が廃止されて特急が全廃となり、そのほかにも展望車・一等車・食堂車・寝台車が消滅した。
1944年10月 輸送力増強のため、岩国駅?櫛ヶ浜駅間で勾配が緩い柳井線を複線化して再び山陽本線とし、それまでの山陽本線は支線の岩徳線へ格下げとなった。 
1945年(昭和20年)3月 また列車が削減され、山陽本線を含め日本全国での優等列車は、東京駅?下関駅間運行の急行1・2列車のみとなる。
1945年6月 1・2列車、運行区間を門司駅まで延長。
1945年11月 東京駅?広島駅間に1往復の急行を設定。しかし1ヵ月後には石炭事情悪化で休止となり、その後も列車の増発と削減が繰り返された。
1947年(昭和22年)1月 急行列車と二等車が全廃される。
1947年4月 東京駅?博多駅・門司駅間に1往復ずつ、計2往復の急行列車が復活。この後は、各線で急行列車・準急列車が新設・増発されるようになった。
1948年(昭和23年)7月 このとき実施されたダイヤ改正で、東京駅?広島駅間に呉線周り1往復の不定期急行列車、東京駅?門司駅・広島駅間に1往復ずつの計2往復、大阪駅?長崎駅間に1往復、京都駅?門司駅間に1往復の、計4往復の不定期準急列車が設定される。その一方で、急行列車の速度が一部低下した。

2009年03月05日

堕天使(だてんし)

堕天使(だてんし)とは、もともとは旧約聖書、偽典にある天使の身でありながら高慢、嫉妬、自由意志などの理由でヤハウェ・エロヒム(主なる神)に反逆し、結果天界を追放、つまり堕天された者のことを指す。

堕天使は悪魔と同一視されることが多いが、厳密に言えば意味は違ってくる。堕天使は前述したように天使の身でありながら、ヤハウェに反逆し天界を追放された存在という直接的な意味を持っており、一方の悪魔はヤハウェに反逆したもの、人を悪の道へ導く者、地獄に存在する者というヤハウェへのアンチテーゼ自体を示したような意味を持つ。
キリスト教的な観点において、その理由は様々であり1つの観点だけを鵜呑みにするのは危険である。

下記のうち、高慢によるもの、嫉妬によるもの、の二つはよくキリスト教を題材とした作品に使われることが多い。

高慢によるもの
天界において神の直下の座にいた天使ルシファーは他の天使を統べる大天使長であった。強大な権威と力をもつ彼に「自分は神をも凌ぐ力を持っているのではないか」という驕りが出てしまった。そのため、味方となる天使を集め神に対して反旗を翻した。が、結果はルシファーの敗北に終わり彼とその仲間は堕天されてしまう。

嫉妬によるもの
神は人間に天使以上の愛情を注いだ。当然の如く、それに反発したのは神から最も信頼を得ているとされる大天使ルシファーだった。天使は炎から生み出され人間は土塊から創造される。人間は天使ほどの権威も無ければ力も無いのだ。ルシファーは明らかに自分達より下位な存在であるのに神から寵愛を受けている人間に嫉妬心を覚えた。そして神により強い愛情を抱いていた彼はその嫉妬心を怒りに変えた。そのため、同志である他の天使と共に神に挑んだが、結局は敗北し堕天されてしまう。その後、地上へ堕ちたルシファーは寵愛の対象となっていた人間に挑戦するようになった(『創世記』天地創造によればエロヒムは森羅万象すべての物を創造したが、その中には人間もあり、「われわれのかたちに、われわれをかたどって」人間が創られた)。

自由な意思によるもの
神はもともと天使を自分自身を尊重させるために創造したとされるが、彼らの中にその指針に反する自由な意志を持つものがいたという。実はそれも神自身が考案したもので、反する天使たちには自発的に自分を崇めさせるという試みがあった。なぜなら、神は無の心中から自分自身への愛情を芽生えさせることに真価を見出したからである。だが、自由な意思を持つ天使たちに自分から従おうとする服従心など無かった。結果として、彼らは天界から追放され地上まで堕ちた天使は人間に、またさらに深く堕ちた天使は悪魔になった。その筆頭に数えられるのがアザゼルであるが、彼は地上降臨時に人間の女性と契りを結び、巨人ネフィリムを産ませた。なおかつ人間に天上の知恵を授けるまでに至った。神は彼らの天使としての地位を剥奪し、アザゼルらは堕天使となった。
セレン ケース ルージュ データ スワップ スーパー オルグ マスイブ 碁の杯 ズッキーニ プルト ディレ ポーリア デーリー タイプ ドラゴン パスヒ バットレス ギムレ ピート トウヨ リッドカ コリー いちい パネル メタセ バンダ リファレ ブラーフ ドリティ かみいそ ひけつ ノクロス オブジェキ ヒットソ ピア ポール フルスケ ハネウェル バウチ ロスペクト レッサー アクセス ソンク ばいせん シーランド フリース しぶし レシピ ハイビ

ちなみに、この説によれば人間は天使になれるとされ、悪魔は天使に戻れるとされている。

2009年02月13日

Scarlett

物語の舞台は現代社会。所謂諜報員やスパイなどともと呼ばれ、自身が属する国が国際的に有利になるように、裏社会で暗躍する職業を焦点に当てている。

しかしながら、007シリーズなどにも見られる、銃と暴力が物を言うような展開はほとんどなく、むしろ「殺してしまったほうが放っておくよりもはるかに厄介」とされる「高級諜報家」と呼ばれる一族を設定し、彼らを動かすことによる謀略策略をメインにしている。
テリーヌ レーション パドック コラール ランド ブリス しし唐 レッド ダラス バスタ クロノグ ティング ドライ フルカップ ゴッド ハイド カナン シダレ りつりん ひぼう チカフ ナーバス なかふら ヨゴリーノ 高菜 ドアボーイ フレナ ユズリハ 潮の香り ブラック やしゃ オリンピピ ヤラピン イスア スラム ミラージュ ビート ワイポ クローニ オゾンホ プラン シトラス やなだに テラピア セレクト バック カイドウ バルブトゥ シティ あきう

作品のテーマは「日常と非日常」。ねこねこソフトがこれまでこだわってきた「日常」について、結論を出している。

なお、同社にしては珍しく男性キャラクターにも音声が付いている。初回版では付いていないが、ねこねこソフトホームページにアップされている修正パッチを当てることで、男性ボイスを追加することが可能である。

また、このゲームのOPテーマ『Escarlata』はスカーレットを意味するスペイン語である。歌詞も日本語や英語のパートは全くなく、全てスペイン語で歌われている。

大野明人(おおの あきと)
声 - 私市淳
主人公その1。普通の高校生の17歳。日常に退屈し、非日常世界に憧れを持つ少年。高校を休学し、日本全国を旅するも彼が望むような非日常的な出来事は何もなく、旅の最終地点として沖縄を訪れ、そこでしずかと出会う。そして一夏の思い出チックに非日常の一端を垣間見るもそのまま普通の人生を過ごす……はずが、復学した高校でしずかと偶然再会し、彼女を通して九郎に出会う。そしてついには自分も非日常の世界に飛び込んでいく。
別当和泉九郎スカーレット(べっとう いずみくろう すかーれっと)
声 - 稲田徹
主人公その2。諜報一家である別当家とスカーレット家の間に生まれ、世界に数少ない高級諜報家の29歳。金髪碧眼に無精ヒゲ。私服はいつもアロハである。高級情報家の立場を利用しまくり、今も昔もわりとやりたい放題(『有名大学を受験もなしに入学し、学びたいことだけ学んで退学』を繰り返したり)だが、基本的にはクールで面倒見のいい兄貴分である。しかしながら、何事もない平穏な日常にひそかに憧れており、その感情も手伝って、明人やしずかを何かと気にかける。
別当和泉しずかスカーレット(べっとう いずみしずか すかーれっと)
声 - 後藤邑子
ヒロイン。九郎の妹で、金髪碧眼。しかし胸の成長が止まっているのが悩みのタネ。微ツンデレの17歳。特技は乗り物全般の操縦、趣味はガンプラ。ジオン公国好きで、連邦嫌い。九郎には甘えた声を出しつつも、明人には何かと厳しい。それというのも、普通の日常というものに、彼女が一番こだわっているからに他ならない。その辺は彼女の出生には、何か大きな理由がある。
葉山美月(はやま みつき)
声 - やなせなつみ
ヒロイン。九郎とは随分長い付き合いの29歳。もとは華族のお嬢様だが、大学時代やりたい放題の九郎と出会い、興味を持ってしまった事から、人生が180度変わってしまう。現在の所属は自衛隊。結婚したい年頃だが、九郎がはっきり答えを出さないため、後には退けない模様。酒癖が悪い。
アメリア・ウィークス(Amelia Weeksite)
声 - 田口宏子
ヒロイン。別当和泉八郎の庇護下で、スイスで純粋培養された15歳。微ポンコツ。極度の世間知らず。本人は知らないが、高名な学者の一人娘であり、数学、物理、コンピューター関連には、非常に高い能力を見せる。ある事件で九郎が保護し、それ以来九郎に懐き、事件が終わっても九郎チームのコンピューター関連担当に居座る。
別当和泉八郎スカーレット(べっとう いずみはちろう すかーれっと)
声 - 若本規夫
九郎の父親。現在の所属はEUの特別顧問。下手な国の最高権力者を凌ぐ強権を持っていたり、個人で衛星を所有したりしている。
レオン・ハイルマン(leon Heilmann)
主人公その3。明人や九郎には直接はかかわらないが、あるヒロインの出生に大きく関わる人物。ドイツの東西が分断されていた時代、東ドイツの町医者の一人息子として生まれた。少年時に出会ったエレナと出逢ったことで、自らも医者を志す。医師としての自信が芽生え始めた頃、エレナと再会し、同時にイリカと出会う。しかしエレナの生命を救えなかったことで医師を辞め、今度はイリカの治療のために研究職につき、新たな治療法を探す毎日を送っていた。
エレナ・フランク(Eleanor Flank)
ある日、レオンの父が連れて帰ってきた来た少女。明るく淑やかで母性に富むので、母を早くに亡くしひねくれ気味だったレオンに大きな影響を与えた。が、元来抱えていた難病の治療のため、程なくしてレオンと別れてしまう。その時、レオンは医者になると決意する。十数年後、彼女はイリカと共に、医者となったレオンと再会する。しかしレオンの努力もむなしく彼女は病死し、後には一人娘のイリカが残された。
イリカ・ハイルマン(Irika Heilmann)
エレナの一人娘。エレナの死後、レオンに引き取られる。母エレナの生き写しで、母性が非常に強い。同時に、母親の病も受け継いでしまっている。先天性の病身とはいえ、元気で人並みに好奇心もあるため、あまり外に出られないのが悩みのタネ。決まった曜日の通院日が楽しみで、ある日若かりし日の別当和泉八郎と出会う。

2009年01月27日

Su-9は20数年にわたり絶え間ない改修

Su-9は20数年にわたり絶え間ない改修が施されたうえ、機体のほとんどは退役後解体されて現存しない。またその改修も一括して行われたものでなく、その規格に関しても他のソ連機同様機体による個体差が大きいため全体像を摑むのは今以て難しい。だが、Su-9はソ連の迎撃戦闘機のスタイルを確立した重要な機体として位置づけられることは確かである。それまでの主力迎撃戦闘機MiG-19は、現在でも「最高の格闘戦闘機」といわれるほどの運動性を誇る軽快な小型戦闘機であった。それに対し、Su-9は大型の機体に多くの電子機器やデータリングシステムを搭載するハイテク機として完成された。Su-9はMiG-19のように格闘戦を前提としたレシプロ時代以来の戦闘機の概念を捨て、純粋にミサイルの発射ベースとして設計されたと言える。格闘戦闘にこだわる旧来の伝統を捨てるこの方針の出た背景には、当時の「ミサイル万能論」があったと考えられる。Su-9については防空システム関連の情報の機密性の高さから一般には明らかにされておらずその特性についても詳らかでないものの、安定した飛行特性をもつ爆撃用ベースであったという姉妹機Su-7への評価から類推すれば、Su-9も機動性を犠牲にした代わりにミサイルの発射ベースとして安定した飛行特性を得た機体であったと考えられる。空中機動性の高い航空機は格闘戦能力は向上するものの射撃ベースとしての安定性は低下しがちである。Su-9はMiG-19のような空中格闘戦を行うには不向きな機体となったが、かわりに安定したブレのない飛行によりミサイルの運用を容易ならしめるべく設計された機体であった。そして、迎撃戦闘機をミサイルの発射ベースとして捉えるこの方針は、ソ連最後の純粋な迎撃戦闘機であるMiG-31に到るまで変更されることはなかった。Su-9は技術的に未完成な部分も多かったが、前線戦闘機・迎撃戦闘機という2つのソ連戦闘機カテゴリーのうち一方のスタイルを決定付けた機体として、たいへん重要な機体であるといえる。

主な派生型
Su-9(Су-9スー・ヂェーヴャチ):迎撃戦闘機型の基本型。1957年に初飛行。 Su-9
Su-9B(Су-9Бスー・ヂェーヴャチ・ベー):戦闘爆撃機型。
Su-9U(Су-9Уスー・ヂェーヴャチ・ウー):複座教育訓練機型。NATOは「メイデン」(Maiden)というコードネームを付与した。
Su-9RM(Су-9РМスー・ヂェーヴャチ・エール・エーム):標的機として改修されたSu-9。
Su-11(Су-11スー・アヂーンナッツァチ):迎撃戦闘機型の発展型。1958年に初飛行。 Su-11(量産機)
Su-15(Су-15スー・ピトナーッツァチ):迎撃戦闘機型の発展型。1963年に初飛行。 ミンスク上空を飛行するSu-15TM
T-3(Т-3テー・トリー):Su-9/11/15の試作機。デルタ翼が共通の特徴である。アルマース3・レーダー・ステーションを搭載した最初の機体を、NATOは「フィッシュポットA」(Fishpot-A)として認識したが、多数製造された他の機体に関してはコードネームは付与されなかった。 T-3(アルマース3搭載型)
T-5(Т-5テー・ピャーチ):Su-9の双発化の試作機となった機体。横幅を拡張された後部胴体にR-11F-300(Р-11Ф-300)エンジン2基を搭載した。研究成果はSu-15の開発に生かされた。 T-5
レターユシチャヤ・ラボラトーリヤ(Летающая лабораторияリターユシャヤ・ラバラトーリヤ):「空飛ぶ研究所」という意味の名称を持つ研究機がされた。略称はLL(ЛЛエール・エール)である。このうちのある機体ではカナード翼の試験が行われたが、その取り付け方法は上下に1枚ずつあるいは下面に1枚のみという変わったものであった。
PT-7(ПТ-7ペーテー・スィェーミ):T-3から開発されたアルマース・レーダー・ステーションを搭載する試作型のひとつ。K-7またはK-6ミサイルを搭載する機体として開発されたが、このミサイルの不成功により機体の開発も終了した。なお、名称は搭載ミサイル名に由来するものである。
逃走の大地 ロゴス クキン タラン ハンマー ベニア 琥珀の月 ガブリエル アフタン フリーダム アイド いせい レインボー カスタ シャックル 天応最適 スポー マンバ てんびん ミュンヘン ガラニン ドリン ブルドー 春玉 バンニン 青い ドレス ブラン ビデオ メンタリ サーペント ビットト ドルフィン ピクトブ ルドベ サーコー 市松模様 ミントン マルタ リタイ バッテ ブラシ トルコ石 ネート オフチュ シンド ウース ミツマタ ラッシュ ちずい魚

PT-8(ПТ-8ペーテー・ヴォースィェミ):T-3から開発されたアルマース・レーダー・ステーションを搭載する試作型のひとつ。PT-8-4はK-7ミサイルを搭載する機体として開発されたが、このミサイルの不成功により機体の開発も終了したが、機体はT-47のもととなった。なお、PT-8-4に平行して開発されたPT-8-5はT-47と改称された。なお、名称は搭載ミサイル名に由来するものである。
PT-95(ПТ-95ペーテー・ヂヴィノースタ・ピャーチ):PT-8をもとにAL-7F-1エンジンの試験用に開発された「空飛ぶ研究所」。この機体でAL-7F-1エンジンの搭載試験はいちおうの完成を見た。
「製品100L-1」(?Изделие 100Л-1?イズヂェーリイェ・ストー・エール・アヂーン):「空飛ぶ研究所」のひとつ。Su-9をもとに製作され、新しい翼型を試験された。 100L
L-43(Л-43エール・エール):「空飛ぶ研究所」のひとつ。Su-9UをもとにT-4ソートカ爆撃機の開発のために製作された研究機。「製品94」(?Изделие 94?イズヂェーリイェ・ヂヴィノースタ・チトィーリェ)とも呼ばれた。
T-3-8M(Т-3-Мテー・トリー・エーム):Su-11のもととなった試作機。オリョール・レーダー・ステーションとK-8Mミサイルを搭載し、エンジンはAL-7F-1の単発であった。
T-37(Т-37テー・トリーッツァチ・スィェーミ):T-3の派生型として設計された試作迎撃戦闘機で、当初はT-3A(Т-3Аテー・トリー・アー)と呼ばれた。K-9-51(R-38)ミサイル2発を搭載し7600 kg/sのR-15-300ターボジェットエンジンで3000 km/hの最高速度を発揮することを計画していた。ミグ設計局のマッハ 3級試作迎撃戦闘機Ye-150に勝る性能を持つ機体となるはずであったが、実際に製作はされなかった。
T-43(Т-43テー・ソーラク・トリー):T-3から製作された研究機。多数製作された。1960年5月には、T-43-5が100 kmコースにおける2032 km/hの世界速度記録を達成している。1962年9月4日には、AL-7F-2エンジンを搭載したT-43-1が21270 mの高度記録を達成した。3週間後、この機体は500 kmの閉鎖コースにおける平均速度 2337 km/hという速度記録を達成した。T-43-3、T-43-4、T-43-5、T-43-8では、ミサイルと自動赤外線照準装置(ТГС、Тепловая головка самонаведения)の試験が行われた。K-7ミサイル装備仕様のPT-8をK-5M装備仕様に改修したT-43-6は1959年7月20日に墜落し、パイロットが死亡した。T-43-7とT-43-10は、自動操縦装置AP-29Zh1(АП-28Ж1)の研究に使用されたが、T-43-10は1960年に墜落事故で失われた。そのほか、いわゆる「ドッグスーツ」または「歯」(ズープ;?зуб?)と呼ばれる先端の鋭い張り出しを設けた形状の主翼をもつ機体も試験された。 T-43-12
U-43(У-43ウー・ソーラク・トリー):T-43から製作された複座練習戦闘機型の試作機。Su-9Uとして量産化された。 U-43-1
T-47(Т-47テー・ソーラク・スィェーミ):Su-11のもととなった試作機シリーズ。当初の名称はPT-8-5。開発中止となったPT-8シリーズの機体研究成果が生かされ、それと同様の機体を持っていた。オリョール・レーダー・ステーションとK-8Mミサイルを搭載し、エンジンはAL-7F-1の単発であった。 T-47-5
T-49(Т-49テー・ソーラク・ヂェーヴャチ):試作戦闘機。より大型で高性能のレーダー・ステーションを搭載するために機首容積を増加させる目的で開発された。従来の円筒形方式の機首が改められ、空気取り入れ口が機首両側面下寄りに設けられていた。これは、のちに量産化されたSu-15の機体両脇に空気取り入れ口を設ける方式とも異なる独自のものであった。1959年末から1960年初旬にかけて若干の飛行試験が行われたが、エンジンの不調により開発は失敗に終わった。 T-49
T-58D(Т-58Дテー・ピヂスャート・ヴォースィェミ・デー):Su-15のもととなった試作機。T-37、T-49、T-5などの研究成果を取り入れ製作された。改良型のオリョール-D-58(Орел-Д-58)レーダー・ステーションとK-98(К-98)空対空ミサイルが搭載された。

スペック
Su-9
種別:迎撃戦闘機
初飛行:1957年
翼幅:8.54 m
全長:18.06 m (プローブを含む)
全高:4.82 m
翼面積:34.00 m?
空虚重量:7675 kg
通常離陸重量:11422 kg
最大離陸重量:12515 kg
機内燃料搭載量:3100 kg
発動機:AL-8F-1-100U(АЛ-7Ф-1-100У) ターボジェットエンジン ×1
出力:6800 kg/s
出力(アフターバーナー使用時):9600 kg/s
最高速度:2230 km/h
最高速度(地表高度):1150 km/h
実用航続距離:1260 km
実用航続距離(増加燃料タンク使用時):1710 km
最大上昇力:12000 m/min
実用飛行上限高度:20000 m
乗員:1 名
武装:
ハードポイント ×6
RS-2US(РС-2УС) 空対空コマンド誘導ミサイル×4、またはRS-2US ×2およびR-55(Р-55) 空対空赤外線誘導ミサイル×2
増加燃料タンク ×2

運用国
ソ連
国土防空軍

[編集] 関連項目
旧東側の空軍組織
Su-7 - Su-17(Su-19) 姉妹機
Su-9 - Su-11 - Su-15(Su-19)
ソ連防空軍の機体

MiG-19
MiG-21
MiG-23P
MiG-25
Tu-128
Yak-25
Yak-28P
同クラスの機体

F-101ヴードゥー(アメリカ空軍の迎撃戦闘機)
F-102デルタダガー(アメリカ空軍の迎撃戦闘機)
F-104スターファイター(NATO軍・航空自衛隊の迎撃戦闘機)
F-106デルタダート(アメリカ空軍の迎撃戦闘機)
ライトニング(イギリス空軍の迎撃戦闘機)
ミラージュIII(フランス空軍の迎撃戦闘機)
殲撃八型(中国人民解放軍の迎撃戦闘機)
CF-105アロー(カナダで開発された試作迎撃戦闘機)