バラの価格が安くなり、一般に普及し始めたとはいえ、花の観賞を楽しむことができるのは、庭を持つ比較的裕福な家庭に限られていた。そのため、私鉄各社は沿線開発の一環として、バラ園の造営を沿線に行い、利用者の増加を図ることになった。
その嚆矢は京阪電鉄であった。同社は戦前から枚方市で菊人形の展示などをおこなっていた。キクが秋の風物であるなら、春の風物として独自のバラ園でのバラの展示をし集客を計画した。同社は「東洋一のバラ園」の造園をぶち上げ、当時、日本人ではただ一人の英国園芸協会会員で、バラの導入や品種改良で実績のあった岡本勘治郎をバラ園造営の監督に迎え、「ひらかたばら園」を開園するに至った。その後社名が京阪薔薇園になる。
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日本ではバラは花卉としてはキク、カーネーションとならぶ生産高があり、ハウス栽培で年中市場に供給されるようになった。
バラが戦後急速に一般に普及し始めると、ハイブリッドティの花のできばえを競うコンテストが盛んに行われた。これはキクの品評会と同様に栽培技術を競うものであり、大いに栽培技術の向上につながった反面、「喧嘩花」と呼ばれるほど、熾烈を極め、栽培家の間で喧嘩や絶交という事態まで発生した言われる。